• 理念 精神

    全ての方に人生を心底楽しく・自分らしく・末永く、生き甲斐を感じて頂きたい。共感しあって頂きたい。

    このような精神で日々研究を重ねております。
    占いにつきましては、煩悩を満たすためだけではなく、本当に深い意味でよりよい方向へ本来進むべき道へ向かうには、どうすべきか、どうあるべきなのか。という観点・精神の元、そのときどきで重要なヒントをお伝えしております。
    時には耳が痛い内容もあるかもしれませんが、思考を一旦停止し、素直にハートで受け止めて頂くことが出来れば更なる高みを目指せる余地が増してきます。
    易(えき)などの一見偶然にみえる情報源をベースにおいた占いに限らず、それらの人智を超えた深いところから発せられるメッセージは本質的にいついかなるときでも強力に救済しようとしてくれています。半永久的に陽はまた昇ることを繰り返すように、壮大なスケールにおいての恒久性が私達を支え続けています。例え日常的な自我の意識レベルにおいては厳しく映るメッセージが現れたとしても、一旦落ち着いて受け止めることが出来てメッセージを自分のものとして応用も出来たならば、歯車が噛み合うように物事が進展しだし、自身が抱えていた問題もようやく無事過ぎ去った後において、そのヒントを振り返りながら、何気なくともその冥利を幾らか感じていることになることとおもいます。その冥利とは、一見不可思議な情報源からのヒントを自らの心意気で受け入れ、確固たる決意にて活用したその行動からの恩恵を意味します。その一つ一つの地道な実体験が自信となり、自らの支えともなるのです。自身で自己完結的に、つまり自分を自身で占い、そのヒントの活用が出来れば尚更のことです。そしてまた幾度もそれに似た新たな体験を繰り返す毎に、益々落ち着き腑に落ちながら物事の道理や真理を痛い程感じ取りながら人生ドラマを通過していくことになるが故、もはやメッセージが偶然から生まれたことを気にするよりも(偶然は一切無いのですが)、全てに通ずる大切なこととは何か、それを確かな経験の中で気づいてくる、知るに至り、もはやそれまでは不可能とおもえていたこともそうでもなくなりつつあることにも気づき、文字通りの自信とエネルギーが生まれることになり、同時に心のゆとり、かつ他者への思いやりへと繋がるに至るのであります。但し、ゆとりあることをよいことに私利私欲や誘惑に流れるならば、新たな偶然性はその後、自身の味方になることは一旦少なくなることでしょう。とにもかくにも、私たちの住まうこの世界は心を静めてみれば、微妙なヒントや膨大なエネルギーに満ち溢れているのであり、占いなどはそれを拝借しているに過ぎません。
    ときどき核心をつきながらもなるべく言葉はよく選ぶように致します。それは白黒はっきりとした真実を伝えることでショックを受けるための配慮などという事では全く無く、そもそも今置かれている状況は占うまでもなく本質的に良いも悪いもありません。全ての状態や現象は様々な表裏が一体となっているということです。今どれか一つの状態が単独で存在していることはありえず、陰陽、朝夜、男女、白黒、苦楽、全てが視野や感覚や意識に収まらずとも、全ては同時に存在しているということです。片方のみ存在しているということはありえません。その一体感が意識にあるかどうかで物事の進展度合いという意味での良し悪しが変わってくるというのはあります。今置かれている状況そのものに本質的な良し悪しという確定した意味は一切無いということです。
    言葉では表現しずらい霊妙不可思議な本質や道理・物事の機微を自らの意思で感じとって頂きたい。というような精神であります。つまりは今おかれた現実を基点とした自身の可能性や活用可能なエネルギーを感じて頂きたいということでもあります。
    そしてご本人の意識が僅かでもそこに向こうとしているならば、悩みの質自体に変化が生じてくる、悩みが悩みではなかったことにも気づいてくる、少しでも落ち着いてみれば、全体を見渡せる余裕がうまれるがために、まずは急がず次の一手だけに集中することに専念できる。そしてまた必然的に絶妙な変化が生まれ、自らが深いところから本当に望む現実へと向かう可能性が増してくる。ということを既成概念に囚われ過ぎずに実体験からその確信を得て頂きたいということでもあるのです。そしてその確信は益々深化していくものです。私達が共有するこの世界においては、あらゆる現象全てが例外なく常に変化を遂げていくために、固定化された絶対ということは無い。ということに気づいて頂きたい。思い出して頂きたい。黒も白にいずれ変えられる余地がある。白も一瞬の油断や妄念により黒に変わることもある。お互いに共有する貴重な束の間の時間・空間において、心身を緩ませながら、様々なレベルでの白黒・光と闇・苦楽・善悪など、そのいずれも越えたところに共に安座し、直前まで悩まれていた事象の本質を再認識し、心のあり方を整理し、ベストを尽くしてみようとするならば、それまでは感じれなかったこと、行けなかった場所、分かち合えなかった人、全ては自らの意識の現われだったことに気づき、自分で何か固定した絶対という幻想としての現実を生み出していたことに気づくことにもなる、もはやどこでもない自ら自覚する原点から息を吹き返してくる、そう信じております。
    店内にて過ごされる間に、相談される方自身一つでも気づきが生まれたならば、それはその方に元々宿る無限の可能性と力と思いやりの現れです。小さなキッカケを見逃さないことです。それには何か高度な難しい技術を習得するまでもなく、力みをとり、謙虚かつ素直な心で、ありのままの自分と直面し、身近な関係性との素朴な触れ合いを大切にすることから始まることがあるのです。真実とは常に自分の中にあり続け、そのときどきで最も身近な存在がおしえてくれるものなのです。それはあなた自身が心を開いたときに訪れるでしょう。
    さて、人間を含めた全ての生命はどんな個性をもっているかをよく把握することも大切ですが、それと同時にエネルギー状態、つまり、強弱・盛衰・起伏の度合い(注意を要する程激しいときであるか)・勢い・質(分野やお役目)が今どうなのかをよく感じ取った上で、今後当面の方針、行動を決めることも重要です。
    どんなときも、より良い人生を探求することは欲望というよりも、人としての本能だといえます。
    但し、探求が進むごとにときには当初思い描いていた夢や希望とは違った展開が待っていたりもするものです。
    それでもそのとき、これも良いな。とおもえれば、新たな自己発見、本来の自己実現。と言えなくもないでしょうか。気づきあるとき、目にはみえなくとも魂には確かな年輪が刻まれていきます。
    もちろん純粋な目標を持ち、命懸けで日々情熱を注ぎながら努力を積み重ねている方は是非その道を極めていくべきともいえます。鉄は熱いうちに叩け。例え一時は冷めても挫折したと感じても、自身が本当に納得いくまで何度でも奮い起こしていくことです。
    生まれ変わりはあれど、無いとも言えど、いずれにしてもこの境遇・肉体・個性をもって生まれた人生は一度きりといえます。宇宙が始まって以来、二度はありません。例え宇宙がパラレルに複数展開しているとしても、二体もありません。何故ならば文字どおり全ての全てが固有の視界を持ちながらお互いに影響しあっているからであります。例え同じ型から作られた製品だとしても個体ごとの仕上がり具合、届けられる対象が異なるように、全てはユニークさを秘めて生じており、個体単独で存在し続けているということでもなく、自他が分離することもなく、自他全てが相互に無数の影響を受けあい続けているがために、変容が止まるということもありません。
    この世界を生き抜くエネルギーは何処からくるのでしょうか。無数に存在する生命が既にエネルギーそのものでもあり、太陽のようでもあり、その本質に気づくことで生きる情熱となり、支えられ続けていて、またいつか再会しようとおもえてくるものなのです。
    どんなに辛く苦しいときでも、寒く凍えていても、飢えていても、追い詰められていても、調和のある光り輝くユニークさを生み出していくことが可能であるということです。
    唯一の存在が宇宙には存在しうるということは当たり前であると同時に奇跡でもあります。
    ならばどんな展開を歩もうとも、少なくとも最終的には心底悔いなく生きたいと思いませんか。そこには基準は何もありません。それが唯一無二ということです。
    但し、各々の存在は見掛け上離れてみえても感じられてもどこかで通じ合うことが出来ているのであり、それは一元性の原理からでもあります。
    私たちは、日々様々な出来事と向き合う中でいつの間にか自分を見失っていることも時にはあります。追い詰められていることもあるものです。
    それでもどうにかなる余地がある、ほんの少し先の本質的未来を予知できる。未来とは今と切り離された世界ではないのですから今をよくみつめれば、みえてくるものです。そして息を吹き返し、様々な場面で情熱を注いで活き活きと生きることができてくる。他の誰でもない、自分自身に目覚めていれば誰もが本来は自然とそう出来るはず。そう信じています。
    未来を予知する。ということはその道を極めた者の特権でもなく、誰もがなんらかの方法で日頃意識的・無意識的にしろ行っていることといえます。全く特別な能力ではありません。未来がよくみえるということは今をしっかりと生きている証ともいえます。今を生きるとは、自分が何のために生まれたのか、今をどう生きるべきなのか、世の中はどうあればひとつの例外もなく全体として救われていくのか。例え理想と現実が掛け離れた現象世界に身を置きながらも小さなことから日々自らの信念の元、行動に移していけていれば、自然と今日明日を生き抜くヒントが惜しみなく開示されるものなのです。
    真に皆が救われるであろう純粋なエネルギー・知恵・情報など、決して隠された状態で存在してはいません。誰も隠してないのです。本来神秘でもなんでもありません。特別な技術能力や努力すらも本当は必要ないのです。それをみようとする側に自身の本性をなんらかの要因により制限をかけ自らみえなくしている。ということはよくあるものです。私たちは本来どのような存在なのでしょうか。そのことを誰に教わるでもない、自らの意志・意識で思い出す。まずそこからスタートしてもよいとおもいます。すると複雑に絡まって解けない問題であったこともいつの間にか自動的に解決解消へと向かうこともあるものです。全ての現象は自らの信念の現われです。ほんのひとつ、自身の癖や固定観念を開放した途端に、力みがとれてスムーズなエネルギーの流れを実感したりするものです。
    もしも必要とあらばですが、人生の主役として輝きを増して頂くためにも、蔭ながらときどき人生の補佐役としてお供をさせて頂きます。救うということ。救われるということ。この二つの言葉は深い次元でみれば同じ意味でもあるのです。どちらにも純粋に眩く輝いた精神であり、敬意を表すことができます。全ての出会いに感謝いたします。

    店内ではお互いマイペースにくつろぎながら進めさせて頂いております。何も進まないかもしれません。それでも、余分な力を抜き、ひと息ついて作らず飾らず向き合う中でみえてくることがあるものです。人生の進展は逆説的にいえば、完全に立ち止まる瞬間を何処かで作れているか、そして、あなたは何をその瞬間感じ取ったのか、動きたい逸る気持ちがあるとしても、同時に備わる己自身を客観的に見つめる静寂な意識とともに、自らの意志そのもので、小さな第一歩を踏み出してみましょう。
    ここは、様々な枠・しがらみを束の間忘れて、あなた自身と向き合う場所でもあります。ご遠慮なく自然体でお過ごしくださいませ。

    店主略歴


  •