• 占術雑学

    占術分野においては、15歳の頃より研究を重ねてきております。今後とも生涯において更なる研究研鑽は続いていくとおもわれます。
    以下、余談や店主の独自見解等も含まれますのでお時間に余裕があるときにお読み頂けましたらとおもいます。

    開運法のベースとなる宿命的鑑定技術の研究と研鑽、現時点での見解
    開運法を生み出す背景からお話します。そもそも陰陽五行の陰陽は、類似の体系である易の八卦にも内包されたものですが、易そのものには不易(大極・不変)と変易(常に変化・仏教での諸行無常)という意味が含まれており、四柱推命(八字・子平)、紫微斗数・紫薇斗数など、それぞれの得意分野が微妙に異なるながらも、貴命・賎命などと(仮定として)宿命的に論じる機会が多い占術の根本原理である陰陽五行を発展させる必要性を感じたために当研究を開始しています。因みに同じ五行自体に陰陽を論じない流儀・流派も存在するようですが、陰陽、プラス・マイナスが理論に存在することで「波」が理論の根底に根付くのであり、宇宙の仕組みの相似形と成りえると考えています。もっとも五行自体に陰陽がなくとも、その理論体系全体としてある種の波が成立できているのならば、相似形を現せる可能性を秘めているといえます。五行(四柱推命・算命学・紫微斗数・気学)、五大(仏教・インド占星術)、八卦(易経・気学)、西洋四大(西洋占星術・西洋式タロット)、太陽暦(四柱推命・算命学)、太陰太陽暦(紫微斗数)、これら別々の進化と共にときには他方の影響も受けながら発展した歴史があるとしましても、その全ての時空体系において、必ず不確定要素が含まれる余地が残されているはず。という信念が常にあるのです。その中でも中国思想の五行とインド哲学や仏教での五大は別々に成立・発展してきているものの、五大に意識(識大)を含めた六大思想がその象徴ともいえます。(意識が五大を創造・支配しうる)。六大思想が五大思想の伝承のある時点において生じるというのは哲学進展上の必然と考えられます。ところで、この世の全ては量子力学でいうところの量子として突き詰めていくと、量子とは粒子的な性質(物)と波動的な性質(波)、そのどちらでもある。ということになっていくのですが、この世(時空)のあらゆる複雑な波形(波)を理論体系化するにあたり、偶数の4、奇数の5、そのどちらを用いるかは現実的には研究を重ねる個人(個性)の世界観に委ねられることになります。店主の実占経験上においては、例えば四大、五行どちらも人生・世相の時々においての事象を表していると言わざるをえません。視点・観点・循環リズムの違いなのであり、優劣で考えることは出来ず、個人により好みが分かれることがあるのも必然といえます。運勢が一巡したときに、一回転前と陰陽が一致する4のリズム、一回転前と陰陽が入れ替わる5のリズム(故高尾義政氏潮流での算命学理論。2回転で十干が一巡する。)、そのどちらも現世の事象をよく映し出しているものです。世間一般的な日常感覚においての個人間の相性(好き・嫌い、合う・合わない)を見る場合には東洋系命術よりも4のリズムの西洋占星術(3のリズムも含まれています)がズバリ言い当てているようにみえます。現実の難しい諸問題を悲観し諦めるばかりでなく人智を超えたところの力で根気強く乗り越えようとするには、5のリズムの一体系である算命学の次元の考え方にその余地を感じとれます。それぞれ世の中をみる観点、世界観がそもそも異なるために得意分野は異なり、問題の質の違い(現実的か、精神的か)により使い分け、ときには相互に補完もしあうことで柔軟な対処が可能となっています。どれかひとつの思想がもっとも優れているということでもなく、東西思想の共存・連携はこの世の中に調和をもたらすはず。という信念が研究の初期段階からあり、この実占での見解はその裏づけともいえます。私達は先祖代々、これら様々な哲学・思想に直接的・間接的に触れながら各々で物事を創造してきている事実もあるのですから、どれか一つの原理体系のみで語りきれる・表現しきれるものではなくなってきているのだといえます。それぞれに掛け替えの無い歴史・文化・ドラマがあります。それでも、生年月日時でこの世の全ての事象を可逆的に表すことがある程度は演繹が可能だとしても(そして年より大きく、時よりも細かい時間の単位=世・運・会・元・分・秒も中国思想には理論上存在しているものの)、完全にはそれが不可能であることは素直にとらえれば分かることとおもえます。生まれた場所・先祖系統を考慮してもです。コンピューターにより宇宙の動きをシミュレーションは可能ながらも、そのものではないということと同じです。いわゆるアカシックな領域にも階層(次元)があり、その究極は究極を知りえるもの(究極そのもの)にしか分からないともいえます。但し、常に究極(大極)と私達は一体でもあるというのが救いでもあるのです。(瞑想により生きながらにして究極を知る、それに帰ることができます)。易の変易を浮世の常とするならば、東洋・西洋・インド・南米・秘境を問わず、宿命論的占術の知命(己を知る)、そして立命(己を世に活かす)には伝承されている以上に柔軟な本質があるはず。という信念があることと、卜占と命占それぞれに特有な意義も常々感じているために、どちらも共存・協調させながら、研究を継続しているのであります。意識とは人生の達人といえども兎に角揺れ動くもの、それをなんらかの技術によりホールドする、という行為は一見不要な制限を与えるようにみえて、かえって安定感とリズムをも生み出す、落ち着きをも生み出す。無限から制限することにより、失うこともあれど、運を自ら生み出す、創造する、現実を生み出していく原動力が生まれることもあるのです。元々私達は(信じる信じないはひとまず置いて)無限ともいえる宇宙とその根底にある本質からこの世に生まれ出るときに、固有の形をもつことで皆奇跡的な誕生を達成しており、心臓の鼓動・体内循環が始まっています。そして唯一無二の才能を授かっており、命それぞれなりに自由意思の元、活動を始めることになるのです。自己と他の命はどれ一つとも同じものが無いゆえに未熟なうちは様々な悩ましい問題に遭遇していきます。同様に中には貴重ともいえる協調関係も生まれてもきます。それは本人の気づきの度合い次第でいくらでも広がりをみせていきます。占術を用いるか、他の技術・ノウハウ・哲学を参考にするか、何かにすがるか、独自の信念で生きるか、独自の尺度で目標を持ちそれに向かって地道に生きるか、社会システムの枠組み・組織の枠組みの恩恵を受けて生きるか、ときには想定外の出来事に遭遇するがゆえに一時ひたすら耐え忍ぶか、心を開ける友と支えあうか、兎に角何があっても楽観的に明るく生きるか、天賦・天与の才・資質で生きぬくか、他にもいろいろな生き方があるものですが、そしてそれら全てを善しとし総動員するか(店主自身はこれなのだとおもいます。人生は正に命懸けです)、そして、誰しもが、自分の意志でどう生きてもよいとおもえます。ただし本当にどこまでも素直であればです。無理して素直になろうともおもわず、落ち着いてじっくりと(どこまでもという意味でもなく)必要なだけ時間をかけてよいとおもいます。もしもどこかで自分らしくなかったと気づけば改心すればよいとおもいます。はじめから完全にスマートには行きません。そういうようにみせている人はいるものですが、人知れず苦悩していたりもするものです。(そして、いわゆる相(人相・手相・指紋相・あらゆる相)についてもとても微妙な変化ではありますが他の体系と同様に意義はあります。全く余談ながら、命占では経験上、算命学が俗に三柱の理論体系として浸透していながらも、その理論がどこまでも自然で芸術の域であり、形而上領域にも踏み込んでいるがゆえに深みもあり、的確に参考に成りえています。もっとも算命学理論には四柱目である時柱も理論としては元々存在していることが著作からは読み取れます。そして、いわゆる格・破格の理論は、算命学・四柱推命ともに知命として参考になりえています。但し知命にも限界はやはりあります。そこに意識が入り込む余地があり、かえって鑑定という堅苦しい領域から開放され、且つ完全に宿命論から脱却するわけでもない、柔軟な世界観に身をおいてみる中で、物事がうまく回りだし、洗練されてくることもあるのです)。
    開運法確立の基礎理論を説明していきます。陰陽についてですが、特に陰については、相対的な性質としては受身であるがために他の存在の影響を受けやすく単体では実態として確定しずらい性質があると店主独自に捉えています。個人ごとに必要とされる陰の五行(乙丁己辛癸)には違いがあるものの、いざご本人にとって必要な陰を現すであろう物理的なモノを探そうとしても、陽は古くから伝承もあり分かり易いものですが(陽は明らかという性質があります。)陰はその柔軟な本質により、同一なモノでもそれを身につける個人によって、相対的に質が変わってしまうために、万人に共通な陰干を現すものを確定することは矛盾を生み出してしまうことになります。そこでご本人の生年月日より割り出される命式・星の配置の相互関係からご本人にとっての陰はこういうモノになる。と確定させる仮説を立て、検証を重ねるごとにその成果を自身、被験者ともに実感出来ることが増してきましたので、今後ともおすすめしていく次第であります。

    開運法の研究
    開運のアプローチも様々とあることとおもいます。

    気学(方位を活用いた開運について)
    私自身は高校生時代から現在に至るまで気学による開運は節目において実践していたものです。過去4回の引越しにおいて気学による方位と時期を選定しております。1995年前後の自身が20歳頃から24歳頃だったかと記憶していますが、大阪の気学家の先生(故大塚考祥氏)には何度も電話を掛け不明点を遠慮なく相談し、独自の見解もぶつけてみては、毎回親身にご回答を頂き大変お世話になっていた時期もありました。先生独自の深みのある哲学を惜しみなく共有頂きましたこと、今でも深く感謝いたしております。将来の引越しの機会が訪れる際はまた気学を活用させて頂く所存でおります。
    なお、大塚先生は、方鑑学の流れから気学を創生された園田眞次郎氏の潮流の方でもおられましたので、九星気学とは言わず、あくまで気学である、そして気学は占いではなく、開運の技術であり、突き詰めれば哲学でもあるとおっしゃっていた記憶があります。確かに気学は占うということはしていませんので占いでは無いのであります。常々、四柱推命などの鑑定内容よりも、よりダイナミックな哲学である気学を優先させて良いのです。とおっしゃっておられました。私もそこは同意するところであります。ある意識次元階層までにおいては宿命論的な捉え方はよく機能し働くものの、地球人類がこれから更に環境全体を意識した上で、様々な観点での存続の危機を乗り越え、より人類全体としての気づきと目覚めが進展していくごとに、よりコントロール出来る領域は広がっていくことと信じているからであります。コントロールといっても利己的支配的になるのではなく、あくまで生命全体を意識した上での良心に基づき、不可能であったことが可能となるという大前提があります。
    私自身、風水や奇門遁甲も関連分野として研究していた時期もありますが、活用のしやすさもあり、先生とのご縁もあり、気学は馴染みやすく、効果も実感いたしております。

    現在は、気学に寄る旅行や引越しなどの大掛かりな努力を用いずとも、エネルギーの循環改善と質の向上に繋がる方法として自身で仮説を立てつつ、以下の方法を30代前半頃より実践的に研究を重ねてきております。

    陰陽五行波 序論
    具体的な開運法としましては、陰陽を表す「色」を常日頃身に着け、エネルギーを常時補っている状態を保つことにより自身の形而上領域(魂の領域・個性的本質)において欠けていた星(性質・才能=周波数)を後天的に補った状態を作り上げ、結果、自身の運の巡りを好転させることが可能となる技術であります。易の陰陽、五行、気学、万象学、東洋占星術(故高尾義政氏の流れにおいての算命学)の理論を元に独自に発展させ、運は具体的な方法により積極的に変えていくことが可能である。(積極的に開運が可能であるという考え方は、気学の理念でもあり、それは他の占術にも応用可能である)ということを知り実際に体験頂き、万人が希望をもって人生を歩んで頂きたいという信念に基づく研究でもあります。これは店主自身が幼少期に宿命論的な伝統的占術にたいして素朴な疑問を感じてからの終始一貫した研究でもあります。(もっとも自身の不勉強そのものでもありました。そして今後も研究は続きます)。極論的には何事も固定・決定したものは無いということです。実際のところは何事も、あるともないともどちらともいえる。ということです。そこには意識・意志・行いが大いに関与しています。(もっとも本質的に、赦し・感謝・救済・歓喜・愛が全てに関与し続けています。気づいているかに関わらず)。
    大病回復・危機危険回避・恋愛結婚成就・お仕事継続など様々な作用が期待出来ます。
    精神的次元を上昇させることでこれらの問題を問題ともしなくなる高次元の意識で対処可能とします。ただしそれは無意識的に押し上げられるエネルギー作用のため、時間がある程度経過した後に、自身が無事に過ごせていたこと、壁を乗り越えていたことに気づく。ということがよくある事例です。自覚出来ている人もいます。それは魂としての経験の差、自覚しやすい周囲の助け、環境の違いもあります。
    お金は掛けず(何事も工夫すればお金はかかりません)、万人が無理もせず続けられる、人それぞれに異なる必要な「色」を身に着ける簡単な方法です。色は視覚的に色とりどりにみえる色そのものであり、色の元は周波数であり、もしくはドット絵などでもお分かりのとおり、その異なる色(周波数)同士が荒く混ざりあった状態でもあります。当技術でいう色は、天然、人工を問いません。両者は完全に等価です。一般的な市場で流通しているようないわゆる高価な素材でなくとも良いのです。例え経済的に困窮していても皆平等に救済されうるというこの世界の本質が根底にあります。人工も広義には自然が生み出したものであります。(全ての人工的行いを善しと拡大解釈するような考えではありません)。(五行は食べ物など様々なモノへ分類・エネルギー転換をできるものですが、その中でも色は肉体次元的に副作用が少ないがために、活用している次第です。)色の作用については、一般化もしつつある色彩学的な心理的効果も興味深くあり、実際にその作用も同時に起きてくるともいえます。しかし当技術はそれではない、形而上世界での作用、且つ形而上世界においての個性に合わせて影響を及ぼそうとするところに違いがあります。(もっとも心理学も形而上領域を扱うようにすでになっているため、その境界線はあってないようなものともいえます。)究極的な視点においてはどちらも通ずるところがあるとおもえております。現象世界を生み出し続けている精神世界的・形而上的エネルギーの流れがより不自然から自然に近づくために様々な場面でよりエレガントな身のこなし・対処を無意識的に出来てくる、本来の個性を開花させ、運を引き寄せるなどの作用が生じるようになります。これはご本人が心理的(顕在意識的)に望んでいなくともそういう展開がおきてくる。ということでもあります。一般的に言われている引き寄せの法則や類は友を呼ぶなどということでもなく、似たものが引き寄せられてくる論理ではなく、自身の運は自らの意識で生み出していけるものであり、高次元においても低次元と触れることは可能なのであり、例え低次元の中に居ても周囲に一見ガラクタのようにみえるものに囲まれていたとしても、見方によっては大袈裟ながらも宝の山に囲まれているともいえるのであり、それらを無理なく活用してみることにより、誰でもその気になれば這い上がれる、立ち上がれる、もう一度やり直すことが出来る、僅かな工夫で実現に向かう可能性が生まれてくる、次元の高低はそもそもあって無いともいえる、何故ならばその次元を自由に行き来するのはいつも自らの意識であるからです。次元すら自らが生ぜしめるともいえてくるのです。それは気づきの度合いに寄るともいえます。私達は生じられた存在のようであり、またその逆に自ら生じてきている存在でもあり、どのようにもとらえることが出来るのです。そして運と一言にいっても、高次元意識においての運、低次元意識(肉体を含む)においての運、私達はある程度のそれらの複数階層の次元間を同時に存在しているともいえます。比較的低次元の領域においては、ふとした不注意により己を見失ってしまう隙をも周囲に与えてしまう余裕も持ち合わせていたりするものです。低次元領域の世界においては様々な制約制限とともにあるがゆえに起こりえることでもありますが、特にその領域でのエネルギーの不足や乱れを調整するという意義があります。
    経験上、2ヶ月~3ヶ月前後は出来れば毎日(洗濯・交換しながら)、継続して着用して頂きたいとおもいます。その後も効果を実感出来ましたら継続頂ければ尚望ましいです。身体に馴染んだ後、運が開けてきて安心してしまい着用をパッタリやめますと1~2ヶ月で元の運に戻ることが多いようです。生年月日、そして生まれた時間、更には現在の運勢により入ってきている性質により、その人にとって今必要な色は異なりますため、この場では具体的なお話はここまでとしておきます。特に陰の色は陽の色よりも掴もうとしても遥かに掴みがたい、確定しにくい。陰陽の陽とは何か、そして陰とはどういう性質であるか、先人が残された文献などからの学びとともに、その道理を実際に感得していくことで、自身の意識(周波数)においても独特なエネルギーを帯びた落ち着きと奥ゆかしさ、弱そうにみえて弱くもない、いつも影に隠れているのに忘れ去られることもない、その他様々な可能性の裏には陽のみではない、陰の性状も必ずあることに気づいていくことでしょう。それらは全て独特な人生体験の束の間において痛感されることでしょう。波とは何か、調子の良い悪いとは実際のところどんな原理が働いているのか、悪いという状態はそもそもそれ単独で本当に悪いと確定できるものなのか、、善と悪、健康と病気、それらのどちら側へも度が過ぎてはならず、なにかを切り捨てても無くなりはせず、万象の移り変わり、運の浮き沈みの道理などがみえてくるとともに、自身がそもそもの道理や波、真理そのものであることをも思い知ることでしょう。思い出すともいえますが、虚心坦懐、無為自然ともいえるその境地は、そもそも既に誰にでも備わっているのであり、文字どおりの無心の状態においては、本当は皆知っていることでもあるのです。そのとき、あらゆる一切の悩みは一旦は消滅していることにも気づきます。陰陽合一は無に帰し、無は一切を包含していることは全ての救いとなりえています。確かに今、現実として人それぞれの問題はある。と同時に本当に安心する。そしてその中でしっかりとみるべきをみる。無理のない行いからはじめてみる。ということが結局は確かな波に乗っていくことでもあるのです。そのときどきでみえる景色はなかなか色鮮やかに感じたりもするものです。昼夜を問わずエネルギーに満ち溢れていて、私達はエネルギーそのものであり、存在として尽きることはなく、生死を超越した存在でもあるのです。生ある今は安心して生を全ういたしましょう。難しくとらえず、今日一日、明日何をするのがよいとおもいますか。
    当技術は、先天的に元々部分的に高次元状態の方もいらっしゃるため、全ての方に目にみえる変化があるものではありません。
    俗世間で生きる上で、先天的な運を分野に分けて考えた場合、その分野ごとの運の強逆に個人差があり、弱く壊れやすい運がある場合に補強させる手法のひとつです。
    物事の節目で壊れてしまう・体調を壊してしまう・結果が出ない、調子の悪い季節がある、恋人が出来ない、才能があると言われながら発揮出来ていない等、長年お悩みの方はご相談ください。例えば、アスリート・武道家・登山家・職人・技術者・芸術家などの方々は、より高い次元で落ち着きを保ちながら活動可能となります。

    開運後そもそもどうあるべきか その考察
    運命は動から生ずるという気学、または陰陽五行波の実践により、個人として開運することは可能となるとしましても、大切なことはその後、その強運をどう活かして世の中に貢献していくか、循環させていくか。ということです。それが伴わないとかえって自身や周囲を苦しめることもあること予めご理解頂きたく思っております。(要するに悪用厳禁です。全て自分に痛烈に跳ね返ってきます。もしくは何年もトンネルに入ることにも繋がります。)人それぞれのお役目(天命)は人の数だけ用意されており、全く異なるといえますから、自身の深いところからの良心(本質・本性)を目覚めさせることは、陰陽五行波などに頼るばかりでなく、とても重要なことでもあります。
    なお、次元が高い・低いというのはあくまで状態であり、そこに優劣の差は全くありません。次元が低い状態では不器用になりがちであり、ときに辛酸をなめたり苦悩を味わったりと、その経験も魂の成長に必要なこともあるものです。人生経験として成功・失敗のコントラストがある人には深みがあります。失敗を失敗とも捉えません。転びながらも笑顔になれるということです。表情にも豊かさ、奥深さが感じ取れます。悲しみ泣くべくときに泣ける人にもなるでしょう。そして、価値観、人生観の質も変化していき、成功・失敗でもなく生きていく意志が目覚めてきます。(これこそ真の次元上昇です)。
    次元の高低を自らの意志で自由に往来し、様々な体験を潜り、ときに苦しむ生命(同胞)を助ける。(何事も波長が合えば出会いやすくなります)ということも、ときにはあってよいこととおもえます。映画スーパーマンのストーリーのように、ある日突然超人から凡人に落ち込み、そして自らの意志(愛)で見事に復活を遂げる。ということは、私達の現実世界でも大いに参考に出来る精神なのです。トップアスリートの芸術的ともいえるパフォーマンス、その原動力となりえているスピリットの領域は肉眼にはみえないながらも、高い周波数の状態(次元)へ参入しているともいえます。みため上は微妙な違いだとしても、質的には2倍、3倍ということでもなく、とてつもなく回転力に差があるものなのです。肉体レベルではそれが現れていないだけのことです。当の本人はそれでも十分、精神においてはその次元に住まうがゆえにエクスタシー(ビジョン・自信・確信)を感じているものです。独特に、エレガントに何歩も先読み(予知)して動いている状態が継続できている人は、その人なりの次元の高め方を知っているのかもしれません。

    地球環境における一般的な生命活動における世界観(但し、広大な宇宙において局所的に存在する極限状態において働く原理を除く)
    この世の全てはミクロ・マクロともに回転運動・循環運動をしています。次元が高まるとは、意識の回転力が速くなるということです。(とにかく流れる意識。拘らない意識ともいえます。更にいえば、拘り・拘らない、どちらでも良い。という意識ともいえます)。周波数が高くなるということです。すると同じ時間を歩みながらも、ゆとりが生まれてきます。洞察力が高まり、深まります。不可能と考えていたことが案外と可能に思えてくるものです。運勢という言葉は、運を流すということでもあります。回転が速まるということは流れやすくなる、調節しやすくなる、柔軟になるということでもあります。内面的には高回転していながらも、低回転の世界で活動すべく調節するには高周波を分周する電波・電子回路の世界での理論と同じです。回転が速い世界とはミクロの世界でもあります。肉眼では見えない世界と自身が同調してくる。ということでもあります。当然ながらミクロとマクロは同時に存在しています。遥か彼方の星々を眺めるには細かな光を集める必要があります。(天体望遠鏡は屈折式・反射式ともに微かな光を集めて像を作ります)。やはりミクロの技術がマクロを眺めることにも繋がります。(瞑想においても己の内に広大な宇宙への扉があるのです)。そして動作としては、テンポを遅く(周波数としてはあえて低く)、息を長く、ゆっくりと動作することで、高次元(高周波)と低次元(低周波)のハーモニーが生まれてきます。ひらめき(=現実世界でどうすべきか)はその状態で起こりえる。ともいえます。音楽を聴いていて心地よく感じるのもハーモニー効果の一種といえます。対人関係において、苦手な人との関わりの中で辛抱強くありのままを眺めていると案外と貴重なひらめきに恵まれる場合もあるものです。これもハーモニー(調和)といえます。広大な宇宙空間、無限の時間、何重もの次元的階層、一個人の視点(ある種の欲の次元)からそれらを探求研究し始めるとおそらく解明には至らず謎は深まるばかりですが、その真相はさておき、これらの永遠無限概念をも含めて、それらを自由に往来可能となるには、逆説的になりますが、様々な知識や固定観念を一旦全て解放し、あらゆる真理や哲学や理論などに惑わされることもなく、得体の知れないメッセージや情報を鵜呑みにすることもなく、解らないことを頭を捻り解ろうとすることでもなく、もはやハートで感じようとすることでもない程に、何をしようとすることもなく、孤独を何ら恐れることもなく、極めて静寂しきった状態において、そこに自然と生じているであろう、調和的な意識・意志が必要ともいえます。調和、ハーモニーを体現するには努力をするわけでもない諦めでもない一切をゼロの状態においたところでのゼロという概念でもない、意識的な飛躍(意識の爆発力・決心)が必要です。それは自発的・偶発的に起こるともいえます。異次元融合、異世界の分かち合い。陰陽合一。なんでも良いのですが全てが解決成就しているかのごとく、そこには恐怖など、もはや皆無です。ごく一般的な生活に意識を戻せば、また肉体次元において心は揺れ動き、心配や不安な状況に遭遇していき、当たり前のように浮き沈みの波を体験していくのですが、その波そのものに不必要に意味づけをしていない知恵が寄り添っている意識において、結局のところ、様々に生じている波とは、陰と陽(真逆にして最良のパートナー)のハーモニーでもあることに気づき、さあどうやって楽しもうかという自身の心のゆとりがあることにも気づいてくるのであります。その心のゆとりはそもそも既にあるものであり、ゆとりを自覚しつつドラマをくぐるか、自覚せずにドラマの苦楽を味わうか、どちらにしても、自身の一瞬の選択によるものです。とにもかくにも、意識の回転力が高まった高周波の領域に踏み込んだ状態においては、選択肢が増してくる中で、ほぼ同時にどうあるべきかという結論も自動的に絞られていることにも気づいてくる中で、物事を俯瞰して、本当に納得した上で、判断できる可能性が増してくることになります。



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